猫の額ほどの中庭の一隅、犬走りのコンクリートの上に腕型の水瓶がある。口径はおよそ六十センチ、高さは膝の辺り四、五十センチほどの円錐台。すぐそばの水道の蛇口から一メートルばかりホースを引いて終日水を垂らしている。終日と言っても、水栓のケレップが摩耗して閉まりの悪い水漏れほどに調節してあるから、その量は知れている。この水瓶を貰ってきたとき、一匹百円の金魚を三匹買ってきて泳がせた。ついでに浮草の布袋葵も浮かせた。金魚は鑑賞するわけではなく、夏場のぼうふら予防のつもりだった。赤いのが二匹に黒の出目金が一匹だった。布袋葵は買ってきて間もなく茎を伸ばし始めたが、水道水があわないのか冬場の水が冷たかったせいなのか、そのうち勢いがなくなり、やがて水腐れしたので捨てた。
毎朝一つまみほどの粒餌を与える。浮き餌なので、体型的にいつも水面をうかがっている形の出目金が逸速く気付いて餌にありつく。赤の二匹はややあって、出目金の動きにそれを察して行動を起こす。金魚にも性格があるようで、赤の一匹は一粒呑みこんでは慌てて水に潜り、再び餌にむかう臆病ものだ。潜水を繰り返すから、従って餌にありつく回数も少ない。
もう一匹の赤はいつも出目金にまといつかれて逃げ回っていた。この世界にもいじめはあるようで、そのうち背びれや尾ひれが食いちぎられたように虫食いになる。やがて体を倒して泳いだり、仰向けになったりして弱っていった。水瓶の底に溜まった木の葉の汚泥に体を横たえていたが、そのうち泥に埋まってしまうほどになった。死んだかと思ってひしゃくで泥ごとすくい上げると、それでも体を動かしている。二ヶ月余りもそんな状態が続いて今度こそだめかとすくってみると、まだえらが動いている。生きている証拠に、だから体の艶は衰えていない。魚料理の活き造りに、えらやひれが動いているのを見て新鮮だと感激するが、飼っている金魚だと情が移っていけない。完全に息の根が止まるまで捨てるに忍びない。体が白っぽくなった死の確認までに数カ月がかかった。初春に近隣の林で稚拙に鳴いていた鴬も、すっかり巧みになった春も終わりのころだった。
黒っぽい大柄のヒヨドリが飛んできてよく水浴びをする。水瓶の縁から羽根を広げて水に飛び込み、羽で素早く水を掻いてから再び縁に飛び移る。派手に水音を立てながら何度か水浴びを繰り返す。ヒヨドリの羽の汚れで水はたちまちに濁る。羽音に気づく家人の視線をまるで気にしない。百舌や椋鳥だと水浴びをしていても人間の視線を感じるや、縁から飛び立ち側にある蜜柑の木の枝に身を潜め人の気配を伺う。こんなとき、金魚たちは水底に息をひそめて避難しているに違いない。
炎暑の夏が続き、我家の主婦は朝の早い時間に中庭の蜜柑などの樹木や芝生に水を撒く。日照りが続いて水撒きは日課になっていた。庭の草取りをした日には、水瓶の水を半分ほどは撒く。水瓶の底に溜まった泥など構うことなく掻き交ぜてのそれに、金魚は濁った水の中を逃げまどっているに違いない。花や草木を愛でる我が家の主婦は、犬や猫など愛玩動物は大の苦手で、金魚などまるで関心がなかった。
そんなことがあってから、金魚の異変に気付くまでに何日か経っていた。水道の水は漏水ていどだから、縁を越えて溢れるまでにはなかなか回復しない。毎朝撒くから水が縁から溢れることは少ない。金魚の世話はわたしの専属だった。赤い金魚は目立つから餌を与えるたびにその存在には気づいていた。だが黒の出目金はいるものと思いこんでいる目に映ってこない。水が濁っているとなおのことだ。何だか変だと意識してそれから居ないのに気付いた。
気付いてまさかと思い、そしてしてやられたと思った。水撒きのため水瓶の水が半分以下に減って浅くなっていた日が続いていた。何やら黒い陰が水面に映ったとき、臆病金魚は咄嗟に、浅くはなっていたが水底に逃げたに違いない。水面にいる習性の出目金は一瞬逃げ遅れ、それの一撃に捕えられたと容易に想像できる。鳥だろうか。百舌の早贄(はやにえ)と言うこともある。あるいは猫やイタチだろうか。この辺り捨て猫はうろうろしているし、イタチもよく見かける。
さしもの暑い夏も過ぎ、季節は秋。この辺りの空き地に違わずコスモスが群れて咲く。いろんな鳥がよく水飲みにやってくるが、生き延びた赤い金魚は元気に孤独を楽しんでいる。と、これは飼い主の勝手な思い込み。与えた餌を、金魚はくわえ込んでは潜る習性を続けている。生き残るすべを心得ている。
夏の暑さのこともあってか今年の蜜柑の実りがよい。梅雨どきの蜜柑の花の咲いたころ、風雨のあった翌朝、瓶の水面にまとまって白い花びらが浮いていたのを思いだした。出勤前のいつもの時間に金魚に餌をやろうとして、わたしは唐突に奇妙な思いに思い当たった。時間帯との習い性もあって、金魚は餌やりの人影が近づくのを微妙に感じ取り水面に浮いてくる。ことに水面を泳ぐ習性のあった出目金は、突然の水撒きのひしゃくにすくい取られ、水と一緒に樹木や芝生に撒かれたのではなかろうか。あの暑さが続いたころ、毎日朝早くから激しく水撒きする音を、わたしは寝床の中で夢うつつに聞いていたのを思い出す。金魚の存在などまるで意識しない、そんな無頓着で激しいところが我家の主婦にはある。