流川文学館
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随筆・消えた出目金
猫の額ほどの中庭の一隅、犬走りのコンクリートの上に腕型の水瓶がある。口径はおよそ六十センチ、高さは膝の辺り四、五十センチほどの円錐台。すぐそばの水道の蛇口から一メートルばかりホースを引いて終日水を垂らしている。終日と言っても、水栓のケレップが摩耗して閉まりの悪い水漏れほどに調節してあるから、その量は知れている。この水瓶を貰ってきたとき、一匹百円の金魚を三匹買ってきて泳がせた。ついでに浮草の布袋葵も浮かせた。金魚は鑑賞するわけではなく、夏場のぼうふら予防のつもりだった。赤いのが二匹に黒の出目金が一匹だった。布袋葵は買ってきて間もなく茎を伸ばし始めたが、水道水があわないのか冬場の水が冷たかったせいなのか、そのうち勢いがなくなり、やがて水腐れしたので捨てた。
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随筆・空巣
会社の中庭に生い茂った樫の老木があります。もう何年も剪定をしていません。うっそうとして伸び放題の巨木になり、三階のベランダから見ると、目の前、目の丈を越えて庭の空間を覆うように枝葉を広げています。毎年その時期になるとたくさんのドングリが実を付け、庭に面した事務所で事務を執っていると、間断なくドングリの落ちる音が聞こえます。庭に面した廊下には、落ちて跳ねたドングリがいくつも転がります。庭の所どころ、ドングリが敷き詰めたようにたまっています。子供のころ、まだ樫の木が若くドングリの実が少ないころ、わたしは貴重品のように落ちたドングリの実を拾って遊んだものです。
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林の中の住人
日曜日の遅い朝食をすませた章夫は食卓のうえに広げた新聞を読みながら、両の手で抱くように持っている萩湯呑みのぬくもりを、それとなく掌になじませていた。明けがた、夏布団からでていたむき出しの腕の冷えるのに目覚めたほど、林の中の秋は足早だった。早朝からにぎやかに鳴いている蝉の中にひぐらしがいて、涼気をさそう。 勝手口から郵便受けの朝刊を取りにでたときも、玄関の燈下のたたきに白斑点の髪切り虫が仰向いて、黒だかりの蟻に運ばれていた。蟻のせいだけでなく、髪切りの触覚はまだ動いていた。
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蛙天国蟻地獄
会社のライトバンを、自宅との往復に使っている。自宅での駐車場はとなりのあき地で、それも林に隣接しているところを借りている。 梅雨が明けて、雑草はいっそう勢いをまして伸びている。が、車を止める場所が決まっているので、そのあたり土が露出して草はまばらになっていた。ギヤーをバックに入れて、舗装道路からはずれてその位置に車を止める。慣れているので、ほとんど同じ場所におさまる。
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新千年紀を前に
聖フランシスコ・ザビエルの名前を新聞で見たとき、わたしの気持ちをふとかすめたものがあった。ザビエルは戦国時代大友宗麟に招かれ、豊後の国でキリスト教を布教している。南蛮屏風図に模して大分文化会館の緞帳にも描かれているが、そうした歴史教科書的なものではない。大分にはその名を冠した南蛮菓子もあるが、そんなものでもない。記憶の片隅に隠れていたものが、懐かしさをともなって垣間見えた思いがしたのだった。
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名残り川通り奇譚
会社にある温泉の排水がどうも上手く流れない。いままでにも時として、詰まることがある。そんなとき、屋内の中間にあるマンホールと風呂場までの間の排水溝を、割り竹で突いた。 隠居職の社長である武志の父親が、雑用係をかねてこの掃除を買ってでる。八十歳を幾つか過ぎても体だけは若わかしい。風呂好きで、朝夕二度の入浴を欠かさない。だから、この役は自分のものと決めているところがある。マンホールの蓋を開け、土間にシートを敷いて腹這っての作業になる。建物の建ったのが昭和四年だから、やがて築後六十年になる。たまには掃除も必要だ。温泉の湯垢がたまるのはしかたのないことだ。
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水木しげるもどき
八月下旬、NHKテレビの午後七時半から三十分もので漫画家水木しげる原作「のんのんばあとオレ」というテレビドラマが五日連続で放映された。水木しげるの少年時代のことで、東京から結核の療養のため、作者の住む山陰の町にやってきた遠い親戚の、年上の少女との初恋を描いている。少女はやがて死ぬのだが、少女の世話をすることになる賄いのお婆さんが少年の家のばあやさんでもある。いかにもありそうなこのお婆さんの妖怪話が子供たちの世界と絡んで話は展開する。妖怪の出現や夢の世界は水木しげるのアニメで表される。お婆さんことのんのんばあと、しげる少年ことげげの、そしてさらに二人の兄弟たちや大人の世界がからんだお話で、夏休みの子供たちが対象だが、大人のわたしも子供心にかえって楽しめた。
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