水木しげるもどき

松 下 好 孝

八月下旬、NHKテレビの午後七時半から三十分もので漫画家水木しげる原作「のんのんばあとオレ」というテレビドラマが五日連続で放映された。水木しげるの少年時代のことで、東京から結核の療養のため、作者の住む山陰の町にやってきた遠い親戚の、年上の少女との初恋を描いている。少女はやがて死ぬのだが、少女の世話をすることになる賄いのお婆さんが少年の家のばあやさんでもある。いかにもありそうなこのお婆さんの妖怪話が子供たちの世界と絡んで話は展開する。妖怪の出現や夢の世界は水木しげるのアニメで表される。お婆さんことのんのんばあと、しげる少年ことげげの、そしてさらに二人の兄弟たちや大人の世界がからんだお話で、夏休みの子供たちが対象だが、大人のわたしも子供心にかえって楽しめた。

漫画家水木しげるを知らない人も「ゲゲゲの鬼太郎」の作者だといえば分かってもらえるかもしれない。わたしも息子たちが子供のころ、否応なしにアニメテレビでつき合わされたことがある。

なぜことさらに、この番組を録画撮りしながら通して観たのかというと、わたしのなかに拘泥わるものがあって、水木しげるのことで何か手掛かりが掴めるのではないかと思ったからだ。偶然だが、一年ほど前に漫画家水木しげるを取材した同じNHKの一時間もののテレビをわたしは観ていた。

太平洋戦争のとき、水木しげるは守備隊として南方の島にいた。その磊落さから現地人に溶け込み仲間になり、酋長待遇で、戦争が終わっても引き留められて現地に残るつもりになっていたらしい。そして戦後数十年ぶりに水木しげるはその島を訪れ、懐かしく現地人と歓談している。ひょうひょうとした水木しげるの容貌とその独特のしゃべり方、そして、戦争で失った片腕でもっての作家活動。初めて見たはずの水木しげるを、しかしわたしはどこかで見ている、と思った。番組の中で、水木しげるは南方から日本に引き揚げてきてしばらく国内を放浪している話が出る。そのときなのだ。水木しげるは別府にも立ち寄っているに違いないのだ。勿論本人に確認しているわけではない。そんなことを手紙で問い合わせることなどできるものではない。再放送でもあれば、今度は録画して再確認しようと思っていた。無いままに過ぎて、ほぼ一年ぶりに「のんのんばあとオレ」の番組を見つけたしだい。重ねて言うが本人に確認したわけではない。わたしが遭ったのは妖怪専門の漫画家だけに神出鬼没の「水木しげるもどき」と言う妖怪なのかもしれない。

終戦後ほどなくして、戦火を免れた別府の街は進駐軍やそれに群がる人たちで喧騒を極めることになる。しだいに街は活気を帯びて、スーベニアショップからは終日ジャズやブギが音量一杯に流れていた。商家のわたしの家はちょうどその街中の角にあって、その店先のあたり、進駐軍キャンプとの間を行き来する人力車やリンタクが待機し、人びとが寄ってきてたむろしていた。

日に日に変容する街の様子が面白く、わたしは学校が引けると店先に出て人の動きを飽きずに眺めた。ときには店の周辺をうろついて人びとの交渉ごとを傍観していた。顔見知りもいたが、小学三年生の子供が傍らに立っていても、だれも気にとめることはなかった。戦災孤児やシューシャインボーイたちがうろついていて、ごく当たり前のことだった。白衣の傷病兵が喜捨を請い、引き揚げ者が通り過ぎた。ときには、手持ちのものを換金する物売りが立ち、人だかりがした。

そんなある日、店のすぐ下角の電信柱に画板を首からぶら下げたまま背もたれし、茫として立っている男がいた。すぐに似顔絵描きだと思った。木箱の椅子に腰掛け、後ろの簡易な掲示板に数枚の似顔絵を貼って店開きする似顔絵描きを、それまでも何度か見かけている。だがその似顔絵描きは泰然として媚びるふうなところはない。声をかければそれなら描いてやろう、という雰囲気だった。しばらく離れたところから見ていたが、いつまでたっても客はつかない。わたしはいつの間にかその絵描きのそばに立っていた。

「坊主、絵を描いてやろうか」

似顔絵描きは突然わたしに声をかけた。わたしははにかんで生返事をしていた。小遣い銭は取りに帰ればそれくらいなくもないが、特別に似顔絵がほしいとは思はなかった。絵描きはわたしの返事を待たずに絵を描き始めた。絵描きが片手なのを、わたしはそのとき初めて気付いた。首から提げた画板を使える手でひょいと腹に載せ、手慣れた動きで鉛筆を持った。反切りの画用紙に絵描きはすばやく鉛筆を走らせ、輪郭を描き青い色を使って画用紙の白い部分がなくなるようにバックを塗りつぶした。わたしの目の前で見る見るできあがっていくその絵はおどろおどろしい幽霊の絵だった。見事な絵だった。そして、欲しいと思った。

「どうだ。欲しいか」

「うん、欲しい。幾ら」

「坊主、何か食べるものがあるか」

誰もが食べ物に不自由をしていたが、わたしの家には田舎から送ってきたさつま芋だけはいつも蒸かして台所の飯台の上においていた。ほとんど三食がさつま芋だった。

「芋ならある」

「それと交換しょう」

わたしは急いで家に取ってかえし、家人に内緒で三つほど芋を持ち出しその絵を手に入れた。

味をしめて、わたしはそれから三日続けて絵を交換した。四日目、その人はいつもの場所にいなかった。その後も、ついにその人を見かけることはなかった。交換した絵はすべて幽霊やお化けの絵だった。なかでも最初に交換した絵が、とくにわたしの気に入りだった。わたしは仲間に自慢して見せた。どこで手に入れたのかと羨ましがられたが、芋と交換したことはなぜか後ろめたく伏せていた。その後長い間、幽霊や妖怪の絵はわたしの宝ものだった。

1991・9・8 (H3) 『文礫 第20号』より